音韻対応
日本語の語がアイヌ語に入るときにどう組み直されるか。借用元のどの音が何になり、どの環境で起こり、語彙集のどの語がそれを示すか。
日本語のシ・ス、チ・ツ、ジ・ズ音節における i ~ u の揺れ
母音 35語 · 確度:中借用元の音節が「し・す」「ち・つ」「じ・ず(ぢ・づ)」である場合。
| 対応 | 環境 | 語数 | 語形 |
|---|---|---|---|
| つ → ci | 11 | 月名 iciŋaci ← 一月 から kuŋaci ← 九月 までは、いずれも同じ -ŋaci ← ~がつ を含む。 | |
| つ → cu / tu | 8 | ||
| ず・づ → ci | 5 | ||
| ず・づ → tu | 3 | ||
| す → si | 4 | ||
| す → su | 6 | ||
| ち → tu | 1 | ほかの「ち」の音節はすべて ci となる。この語には、アイヌ語内部の分析 i-notu を立てる説もある。 |
これらの語の借用元となった北方の日本語方言(三陸海岸と福島県南部を除く東北、新潟県北部、北海道沿岸部)では、イ段・ウ段の母音が中舌化し([ï]・[ɯ̈])、歯擦音・破擦音のあとで「し~す」「ち~つ」「じ~ず」の区別が失われる。アイヌ語に中舌母音はないため、同一の音節が i として取り込まれることも u として取り込まれることもある。「つ」は cikenki ← 付け木 では ci、cunpo ← 壷 では cu・tu となる。u → i の側は、日本語借用語の規則として、s・c・z のあとという条件つきで既に記述されている。
アイヌ語には ti という音節がなく、日本語の「ち」はかならず ci として取り込まれるため、この対応はここでの証拠にはならない。「ち」が u をもつ形で現れるのは inotu ← いのち だけである。
これらの音節以外では、借用元の母音はそのまま保たれる。「る」は cirunpe ← 釣瓶・kuruma ← 車・asinŋaru ← 足軽 では ru、saro ← 猿・ontaro ← 大樽 では o となり、ri となるのは kiseri ← キセル だけである。-uy をもつ kamuy ← 神・pasuy ← 箸 はより古い接触層に属し、kamuy は上代日本語 kamï に対応する。この二語は借用の方向も未確定のまま記録されている。
日本語の濁音は借用元の入り渡り鼻音を伴って入る
子音 79語 · 確度:中借用元にバ行・ダ行・ガ行・ザ行を含む語。
| 対応 | 環境 | 語数 | 語形 |
|---|---|---|---|
| ば行 → p ~ b | 語頭 | 9 | 辞書資料には有声で綴られた形もある:peko ~ beko, puta ~ buta, pintoro ~ pindoro, punki ~ pungi ~ bunki。 |
| だ行 → t ~ d | 語頭 | 3 | |
| が行 → k ~ g | 語頭 | 3 | |
| ざ行 → c ~ z | 語頭 | 5 | |
| ば行 → mp ~ mb / np ~ nb | 語中 | 17 |
鼻音は ampari・mempiru・warumpe では m、ほかでは n。辞書資料には有声で綴られた形もある:ampari ~ ambari, konpu ~ konbu, mempiru ~ membiru, sampa ~ samba。 |
| だ行 → nt ~ nd | 語中 | 12 | 辞書資料には有声で綴られた形もある:hunta ~ hunda, konto ~ kondo, kosonte ~ kosonde, pintoro ~ pindoro。 |
| が行 → nk ~ ng | 語中 | 25 |
辞書資料には有声で綴られた形もある:ankura ~ angura, konkane ~ kongane, kunki ~ kungi, munki ~ mungi, onkami ~ ongami, tamanko ~ tamaŋo, tonka ~ tonga, umanki ~ umangi, punki ~ pungi。 |
| ざ行 → nc ~ nz | 語中 | 9 | antuki ← 小豆 は nt であり、閉鎖音は「ず → tu」の母音の帰結に対応する。辞書資料には有声で綴られた形もある:ancami ~ anzami。 |
| が行 → ŋ | 語中 | 2 | 鼻音のみ。田村は [ŋatsi] を -gaci と綴っており、-ŋaci・-ngaci・-gaci は一つの形の三通りの綴りで、asingaru ← 足軽 も同じ。月名 iciŋaci ← 一月 から kuŋaci ← 九月 までが -ŋaci を含む。munki ← 麦 との違いは鼻音のあとに閉鎖音が続く点にある。 |
北方の日本語は、標準語が失った語中濁音の入り渡り鼻音([mb]・[nd]・[ŋg])を保っており、北海道道南方言の録音にも残る。借用語はその鼻音を映す。さば → sampa、ふだ → hunta、むぎ → munki、あざみ → ancami である。歯擦音の音節における i 〜 u の揺れと供給元は同じであり、二つの対応は一つの源を指す。語頭では借用元に入り渡り鼻音がなく、単純な閉鎖音が立つ(peko ← べこ、taka ← だか、kotco ← ごちそう、conko ← じょうご)。「~がつ」→ -ŋaci は鼻音のみで現れ、借用元のガ行鼻濁音に対応する。 アイヌ語の阻害音に有声・無声の対立はなく、ここでの p・t・k・c は依拠した辞書の転写に従う。これらの語のうち 20 語は、辞書資料の別の箇所で b・d・g・z を用いて書かれている。バチェラーは「Peko … or Beko」と記し、小松の様似方言の録音には「コンド」があり、「麦」はバチェラーにも知里にも mungi とある。どの流儀でも書かれるのは鼻音である。借用語が借用元の区別を保つこともあり、受け入れ側の体系の周縁にある層がその対立を担う(Itô & Mester 1999)。
アイヌ語は閉鎖音の前の音節末に m・n・ŋ を許すため、借用元の鼻音は位置を得る。
鼻音を伴わない語が 12 ある。usupa ← 薄刃、micipa ← 三つ葉、tesapa ← 停車場、simotori ← 相撲取り、isatono ← 医者殿、kaysotono ← 会所殿、sirokane ← 白金、sitoki ← 粢、kurumakay ← 車櫂、icicikan ← 一時間、níci-han ← 二時半、kanuci ← 雁の字 である。多くは複合語であり、子音の前に借用元の語境界が立つ。
日本語のハ行—古い層では p、新しい層では h
子音 36語 · 確度:中借用元にハ行(は・ひ・ふ・へ・ほ)を含む語。
| 対応 | 環境 | 語数 | 語形 |
|---|---|---|---|
| ひ → p | 古い層 | 6 | piraka ← 下駄 は東日本方言形ヒラカ(タ)による(金田一1928)。 |
| へ → p | 古い層 | 2 | |
| ほ → p | 古い層 | 3 | |
| ふ → p | 古い層 | 3 | |
| は → h | 新しい層 | 10 | |
| ふ → h | 新しい層 | 7 | hukuro と pukuru は借用元「袋」を共有する。 |
| ほ → h | 新しい層 | 4 | |
| ひ → s | 新しい層 | 1 | 「飛行機」は二十世紀の語であり、その時期の「ひ」は [çi] である。 |
日本語のハ行子音は [ɸ]、さらに遡れば [p] であり、[h] は後の帰結である。借用語はこの歴史に沿って分かれる。p をもつ組(pito ← 人、pera ← 箆、pone ← 骨、pukuru ← 袋、piwci ← 火打ち、sippo ← しほ)と、h をもつ組(hanasi ← 話、huku ← 服、hatto ← 法度、hoso ← 放送)である。「袋」は pukuru と hukuro の二語として語彙集に入っており、変化の前後で二度取り込まれている。アイヌ語は p も h ももつため、どちらの帰結も音韻上の強制ではなく、両者を分けるのは借用の時期である。最も新しい層では、ひ [çi] が s となる(sikoki ← 飛行機)。
アイヌ語は音節頭に p も h も用いるため、この分岐は使えない音を補う操作ではない。
「は」は 10 例すべてで h となる。p となるのは pasuy ← 箸 のみで、この語は借用元・借用方向ともに未確定として記録されている。konru ← こほり も同様である。
借用元の長音と重子音
音節 44語 · 確度:中借用元に長音をもつ語、またはいずれかの言語に重子音をもつ語。
| 対応 | 環境 | 語数 | 語形 |
|---|---|---|---|
| 長音 → 短母音 | 母音 | 19 | |
| 長音 → アクセント | 母音 | 3 | 該当は三語。teppó ← 鉄砲 は「ぽう」であった音節にアクセントが立つ。 |
| ゅう → iw / uwa | 母音 | 2 | |
| 促音 → 重子音 | 子音 | 14 | |
| 促音なし → 重子音 | 子音 | 4 | |
| 語末母音 → ∅ | 語末 | 3 | war ← 藁 は r が音節末に回る。 |
北海道アイヌ語の母音に長短の対立はなく、借用元の長音はそのまま短母音として現れる(じょうご → conko、ほうそう → hoso、さとう → sato)。長音のあった位置にアクセントが立つ語が三つあり(tépu ← テープ、tóhumame ← とうふまめ、teppó ← 鉄砲)、母音の前の「ゅう」は渡り音を伴って移る(しゅうと → siwto、ちゅうはん → cuwan)。子音の重さは逆に働く。借用元の促音は重子音として保たれ(はっと → hatto、とっくり → tokkuri、ラッパ → rappa)、借用元に促音のない語にも重子音が現れる(ひしゃく → pisakku、しほ → sippo、つとこ → tutukko、おとな → ottena)。
アイヌ語の音節は p・t・k・s・m・n・ŋ・r・w・y で閉じうるため、重子音は音節末と次の音節頭にまたがる。
樺太アイヌ語には音節末子音の消失に由来する長母音があるが、ここに挙げる語は北海道方言のものである。破擦音が続く場合、連続は重子音ではなく tc となる(mutci ← 鞭、kotco ← 御馳走、pakutciki ← 博打)。
借用語幹はアイヌ語の派生を受ける
形態 29語 · 確度:中日本語の語が単なる名詞以外の形でアイヌ語に入る場合。
| 対応 | 環境 | 語数 | 語形 |
|---|---|---|---|
| 動詞 → た形 + -ro | 動詞化 | 7 | |
| 名詞・形容詞 → + ne / kar / ki | 動詞化 | 7 | |
| 借用語幹 → アイヌ語接頭辞 | 派生 | 3 | |
| 借用名詞 → アイヌ語要素との複合 | 複合 | 12 |
日本語の動詞がそのままアイヌ語の動詞として活用することはない。借用元の「た」形に -ro が続く固定した語幹として入り(あづかる → ancikattaro、まける → maketaro、かつ → kattaro、ちょす → cositaro)、アイヌ語の動詞はそこから組み立てられる。借用された名詞・形容詞はアイヌ語の手段で動詞化される。ne「である」による pakane ← 馬鹿、hantásine ← 裸足、yantone ← 宿、kar・ki「する」による pakakara ← 馬鹿、hukasikar ← 吹かす、pakutciki ← 博打 である。アイヌ語の接頭辞もほかの語幹と同じく借用語幹に付く(esimpay ← e- + 心配、ewkoyakamasi ← e- + u- + ko- + やかましい、upakanere ← u- + pakane + -re)。名詞はアイヌ語の要素と自由に複合する(kunne + すみ、ni + おけ、yar + たび)。
人称接辞・複数・充当接頭辞といったアイヌ語の形態は派生後の語幹に付き、その内部の日本語の要素には付かない。
maketa ← まける は「た」形のみで -ro を伴わない。-ro の出自は未決のまま記録されている。