アイヌ語形態素エクスプローラ
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千島列島北部(北千島)

阿頼度島

あらいどとう Alaid

OpenStreetMap での現在名は Атласова。飛来する島の伝承は鳥居のクリール湖 Yāwen の語釈(p. 61)にも現れる。

アイヌ語表記: Oyakobakka・Chacha kotan・Уякужачь

語源分析

Chacha kotan

チャチャコタン

提案

老いたる島

  • chacha 老いた(鳥居)。鳥居の千島単語集は Chacha「高い山」、沙流方言 cáca は「おじいさん」
  • kotan 處・村

提唱者: 鳥居龍藏 (Torii Ryūzō)

山の高さと姿から鳥居が導いた読み。

根拠

  • 文献

    鳥居自身の千島単語集は「高い山」に Chacha を挙げる。これなら名は「高山の島」と読め、山容にも「老いた」より直接に合う。

  • 文献

    ゴローニンの1811年の千島語彙は「島」に北千島語で kotan(котанъ)、南千島語で musir(мусиръ、現代の mosir)を挙げる。

鳥居1903 p. 42鳥居1903 第六章 千島地名普通單語集 (pp. 156–172), Chacha「高い山」鳥居1903 第六章 千島地名普通單語集 (pp. 156–172), Kotan田村1996 cáca チャチャ【名】(お)じいさん、年配の男性服部1964 259 おじい(爺)さん: 千島 achaboGolovnin1816 Kuril word list recorded in 1811, item 26 'островъ', cited from a transcription; the page in the 1816 printing is unverified
分析の詳細
確信度: 低

鳥居の「老いた」は北海道の cáca「おじいさん」(田村1996)に拠るが、服部1964の比較で千島の「爺さん」は achabo であり、鳥居自身の千島単語集は Chacha「高い山」を挙げる。「老いた」は彼の資料が許す二つの読みのうち弱い方。

Уякужачь

提案

高い岩

  • uyakuzhach (クラシェニンニコフが千島人の話者から:「高い岩」)

提唱者: Крашенинников, С. П. (Stepan Krasheninnikov)

1730年代にクラシェニンニコフの千島人情報提供者が島名に与えた語釈。

Krasheninnikov1755 1949 ed., p. 167
分析の詳細
確信度: 低

形は分節されず、対応する辞書の語はここでは同定できない。「高い」の意味は Chacha kotan に引いた鳥居の千島語 Chacha「高い山」にも現れる。

Oyakobakka

オヤコバッカ

提案

(カムチャッカの人々に関わる名)

  • oyakobakka (鳥居:Oyutaru「カムチャッカの人々」と関係)

提唱者: 鳥居龍藏 (Torii Ryūzō)

鳥居は千島アイヌのカムチャッカの人々の呼称 Oyutaru(p. 38 では Oyatāru)との関係を示唆するのみ。

分析の詳細
確信度: 低

語頭の類似のみで、語の残りは未説明。

Oyake pake

オヤケパケ

提案

別の所にある頭

  • oyake 別の所・外(アクロフ)
  • pake 頭

提唱者: Акулов, А. Ю. (Alexander Akulov)

鳥居の Oyakobakka に対するアクロフの読みで、火山の頂を「頭」とする。Алаид 自体はアイヌ語ではなく由来不明とする。

Бражник2024 p. 307, quoting Акулов 2022, с. 124–125
分析の詳細
確信度: 低

一度だけ記録された千島の形に北海道の二語を当てはめたもの。鳥居自身の Oyutaru「カムチャッカ人」との関係づけとクラシェニンニコフの「高い岩」が並び立つ。

用例

  • Alaid 口承 1903 鳥居龍藏『千島アイヌ』第二章「千島地名解」
    アライドとは露人の下せし名稱にして、土人は Oyakobakka 若しくば Chacha kotan と云ふ、前者はカムチヤツカ土人を Oyutaru と云へば、これに關係ある名ならん、後者は阿賴度が海中に富士山形を呈し高く亢立するより、チヤチヤコタン即ち「老ひたる」島と稱するに至りしならん土人の傳ふる所によれば、太古この島は此處に無かりしものにして、元カムチヤツカより飛び來れり、最初アライドはカムチヤツカ半島にありて諸峰中に秀でたり、さればアライドは常に諸峯中妬みを受けたれば、後の恐れもありとて遂に此處に飛び來りしものなり、彼の飛び去りし跡は忽ち湖生じ、今日のクリール湖をなすに至れりと云ふ、この話は又ポロンスキー氏の千島志中にも記載せらる

    鳥居はアライドを露人の名とし、千島アイヌは Oyakobakka または Chacha kotan と云うとする。前者をカムチャッカの人々の呼称 Oyutaru と関係づけ、後者を富士山形の高さから「老ひたる島」と解く。続けて島がカムチャッカから飛来し、跡にクリール湖が生じたという伝承を記し、ポロンスキーの千島志にも同じ話があるとする。

  • Уякужачь / Алаид 文献 1755 Крашенинников, Описание земли Камчатки, ч. I, гл. 9 «О Курильских островах»
    В западной стороне от помянутых островов есть пустой остров, которой на карте под именем Анфиногена объявлен, но курилы называют его Уякужачь, то есть высокой камень, а казаки Алаидом.

    クラシェニンニコフは千島人の名 Уякужачь を「高い岩」と注し、コサックの名 Алаид を並べる。ミュラーの一覧の Уяхкупа(p. 169)は1949年版の注361(Л. С. Берг)が Уякужачь と同定する。

    Krasheninnikov1755 1949 ed., p. 167
  • Alaid 文献 1897 Snow, Notes on the Kuril Islands
    Alaid, the most northern of the Kurils, is about 26 miles in circumference, and has an area of 48 square miles.
    Snow1897 p. 78
  • Атласова 文献 1952 Решение № 1175 Сахалинского облисполкома «О переименовании названий физико-географических объектов Курильских островов», 9 декабря 1952 г.
    «Остров, прежнее название Алаид, новое название – Атласова; «в честь В. Атласова»».

    1952年の決定でこの島の名は変わった。1697年にカムチャッカから千島を初めて望んだコサックにちなみ Алаид は Атласова となった。1947年案は Алаид を通用する古いロシア語名として残していた。

  • Уяхкупа / Уякужачь 文献 1725–1755 Козыревский 1725–1730; Миллер 1737; Крашенинников 1755; Стеллер 1745 (as listed in Бражник–Пономарёв 2024)

    クラシェニンニコフ以前のロシア側記録は Уяхкупа или третей(コズィレフスキー1725)、Уях купа(リヴォフ図1726)、Уяхкупа четвертый(ミラー1737)。シュテラー1745は Алаит と並べて Уякозач または Кютампу、ポロンスキー1871は Уякужачъ を挙げる。

関連地名

  • クリール湖 くりーるこ — 伝承で島の抜け跡とされるカムチャッカ南端の湖。 鳥居1903

出典