北海道後志地方寿都町
弁慶
べんけい Benkei弁慶岬は江戸中期の記録ですでに「弁慶岬」と呼ばれ、和名は寿都湾の義経弁慶伝説を負っている。弁慶が岬の先端で来ない船軍を待ち続けたという話である。旧図のアイヌ語形は「ヘニケウ」「ベニケウ」「ヘニツケウ」となっている。
アイヌ語表記: Penke-ru・Penike-ru・Perke-i・Pen-ikkew
語源分析
perke-i
ペㇾケイ
破れたる処
提唱者: 永田方正 (Nagata Hōsei)
あちこちの解説は「ペル・ケイ」と書くが、永田の切り方は perke-i である。岬一帯には岩が裂けたところがたくさんあり、その点では一理ある。
反論
- 「ペレケイ」が「ヘニケウ」になるかというとどうだろう。 — zenibako_trek zenibako_trek2024
pen-ikkew
ペニッケウ
獣の背首
提唱者: 上原熊次郎 (Uehara Kumajirō)
音としてはぴったり合う。
反論
- 地名としての類例がない。地名が出来た後から、たまたま音が似ている別の単語になぞらえられたというパターンに見える。いわゆる地名説話タイプの作り話である。 — zenibako_trek zenibako_trek2024
penke-ru
ペンケル
上手の道
提唱者: 間宮林蔵 (Mamiya Rinzō)
間宮林蔵は岬を「ヘンケル」と記し、上手の道と読む。著者はこの読みを採り、その道を特定する。フヱヲマイのマド岩を過ぎた石政泊の途中で岩に大きな切れ目があってそれ以上浜を進めなくなり、丘に取り付いて上を行くことになる。武四郎の廻浦日記もその通りに登っており、伊能大図には反対側に ru-san ルーサン〈道が下る〉が見え、文化年間の『西蝦夷地行程』にもマツナトマリからサメトマリまでの山道が記されている。今日の国道229号が通っている道がその penke-ru である。
異形
- penike-ru ‘上手の道’ — 著者は、penke も penike もどちらも辞書にあり、同じ意味であると述べる。
Penge-not
上手の岬
提唱者: John Batchelor
penge は川や山、海岸の「下手」に対する「上手」を意味する。not はあごで、鈍い岬に用いられる。下手にあたる語は pange。
用例
- ヘニケウ 地図 Edo period
松浦山川図・伊能大図(ヘニケウ岬)・泰蝦夷島図がこの形。間宮河川図は「ベニケウ」、天保里数図は「ヘニツケウ岬」、今井測量原図は「ベニケフトマリ」。和名の「弁慶岬」と書く地図も多い。純粋な和名なら音がこのようにぶれるとは考えにくい。
zenibako_trek2024 表「旧図に見られる弁慶岬のアイヌ語形」 - ベニツケウ 文献 Edo period 西蝦夷日誌
従是大岩壁なる故、九折を上り平野に出、爰をベニツケウ[弁慶岬](大岬)と云。
松浦武四郎はフヱヲマイの岩穴を過ぎたあたりで九十九折を丘の上に登り、そこから岬に出ている。
- へにける 文献 Edo period 未曾有後記
「べんけい」には非あらず、「へにける」也と云。転訛して「べんけい」と呼しより、判官のことは一般の口実なれば、やがて弁慶の字を用るなるべし。
遠山景晋は松浦武四郎の50年ほど前にこの地を訪れ、名を「へにける」と聞いており、「弁慶」の字は義経伝説に引かれた後の当て字と見ている。
- ヘンケル 文献 Edo period 窮髪紀譚
弁慶岬は蝦夷言葉でヘンケル
関連地名
- フヱヲマイ ふえおまい — 岬のすぐ西の岩穴。浜の道が終わり、登りが始まる地点。 zenibako_trek2024
- ルーサン るーさん — ru-san〈道が下る〉。伊能大図にフヱヲマイの反対側に見える。 zenibako_trek2024
- ヌカモリ ぬかもり — 弁慶の土俵跡の近くの小山。松浦武四郎の朱太川渡し場からのスケッチに描かれ、凝灰岩が露出しているという。名は「糠盛り」から来た和名かと思われるが、not-ka-mori〈岬上の小山〉と解することもできるかもしれない。 zenibako_trek2024
出典
- 弁慶岬と義経弁慶伝説・寿都西部の地名由来
zenibako_trek·2024-12-28
- アイヌ語沙流方言辞典
田村, すず子·1996
- An Ainu-English-Japanese Dictionary (including A Grammar of the Ainu Language)
Batchelor, John·1905