イワオヌプリ いわおぬぷり Iwaonupuri
北海道後志地方倶知安町・蘭越町
アイヌ語表記: Iwaw-nupuri
イワオヌプリは岩内港からは見えにくい位置にあるが、江戸時代当時は煙を挙げており、否応なしに意識させられる山だった。
位置
42.8853, 140.6405 · 座標:OpenStreetMap Nominatim, 2026-09-10。イワオヌプリ の位置。 OpenStreetMap で開く
指示対象
- 山 イワオヌプリ(1116m)。ニセコ山系で唯一火山活動が確認されている活火山。江戸期の地図と日誌は「イワウ山」「イオウ山」「硫黄山」と書き、松浦武四郎の東西蝦夷山川地理取調図は岩内川水系の水源に「ユワヲノホリ」を描く。著者はニセコ連山全体を「イワナイ岳」と呼んでいた傾向が見えるとする。
語源分析
iwaw-nupuri
イワゥヌㇷ゚リ ‘硫黄山’ 定説提唱者: zenibako_trek(小樽銭函地名歴史研究会) (zenibako_trek (Otaru Zenibako Place-Name and History Society))
地名はそのままの形で読める。記録の硫黄山をイワオヌプリと同定する根拠は三つ。第一に煙で、岩内岳は有史以来噴煙が確認された記録がない。第二に距離で、文化年間の日誌の「凡四里」(15.7km)に対し、岩内港からイワオヌプリまで直線約15km、岩内岳までは約一里。第三に絵図で、硫黄山は手前の大きな山の左奥に描かれる。岩内岳の温泉が逆の側から裏付ける。いわない温泉はナトリウム-塩化物泉で、硫化水素の含有量は0mgである。
根拠
- 文献
硫黄はここで三度、文化年間(1800~)、安政年間(1850~)、明治から昭和戦前(1870~1937)にかけて採掘された。文久元(1861)年に佐藤仁左衛門が開いた硫黄山道が硫黄を岩内港へ運び出し、文化年間には既に五里の道が引かれていたともいう。現在の道道66号、通称ニセコパノラマラインがその名残で、神仙沼近くの大谷地を通る遊歩道が元のより直線的なルートを残す。イワオヌプリの北、硫黄川の水源近くに硫黄製錬場があり、今もわずかに遺構が残る。同じ山から明礬も掘り出され、山麓の五色温泉は硫酸イオン・アルミニウムイオン・カリウムイオンを多く含む。
nupuri はこの意味で辞書にある語、iwaw はバチェラーの Iwau で、複合の形も普通である。山は硫黄を産した活火山であり、この読みに異を唱える資料もない。
用例
- イワウ山 地図 Edo period 西蝦夷道中見取図
最も大きく描かれた山に「ノツカ山」の名が付され、これが現在の岩内岳。その左奥に「イワウ山」が描かれている。
zenibako_trek… - イオウ山 地図 Edo period 北海道歴検図
「岩内岳」とは別に描かれている。
zenibako_trek… - 岩内硫黄山 地図 1869 恵曽谷日記
現在の泊原発の丘あたりから描かれ、はっきりと噴煙を上げる様子も見える。
zenibako_trek… - 岩登山 地図 1883 明治十六年札幌県治類典土地測量第一地理課
硫黄坑の採掘願いに添付された図。描かれた山はイワオヌプリ本峰とは形が違い、隣の小イワオヌプリ(1039m)で、斜面の中腹に硫黄坑があり、山頂から噴煙も上がっている。
zenibako_trek…
関連地名
- 小イワオヌプリ こいわおぬぷり — 1039m。イワオヌプリの隣で、斜面の中腹に硫黄坑がある。途中まで道らしきものがあるが山頂に繋がらず、ちょうど坑道跡のあたりで途切れており、採掘のための道であったことがわかる。本峰は白い地肌が拡がっていても黄色い硫黄はあまり見えないので、小イワオヌプリのほうが噴火が新しいのかもしれない。 zenibako_trek…
- ワイスホルン わいすほるん — 堀株川上流の支流が実際に水源とする山で、三角点名称は「岩尾登」。 zenibako_trek…
- チセヌプリ ちせぬぷり — ニセコ連山のうち、硫黄山のほかで江戸時代に名前が出てくる唯一の山名。ニセコアンヌプリは江戸時代にその名が見えず、ニトヌプリは北大スキー部員が「二兎」にちなんで名付けたらしい。 zenibako_trek…