室蘭 むろらん Muroran
北海道胆振地方室蘭市
アイヌ語表記: Mororan・Moruran・Mururan
アイヌ語の地名は絵鞆半島の根本、現在の崎守駅のあたりの名で、半島や現在の市域を覆うのは後のことである。江戸期の記録はすべて「モロラン」ないしそのウ音・オ音の異形を書く。19世紀末に永田方正が集めた4つの説は、当時すでに由来が混乱していたことを示す。
位置
42.3178, 140.9758 · 座標:OpenStreetMap Nominatim, 2026-09-10。室蘭 の位置。 OpenStreetMap で開く
指示対象
- 集落 もともとは絵鞆半島の根本、崎守駅のあたりで、仙海寺前の坂のある一帯。ここに陣屋ができたことで絵鞆半島を含む一帯の地名となり、現在の室蘭市に至る
- 川 崎守駅のすぐ横、橋の下を流れる沢地の小川。永田地名解③はこれを地名の川とする
語源分析
mo-ru-e-ran-i
モルエラニ ‘小さな道がそこで下る処’ 定説提唱者: 知里真志保 (Chiri Mashiho)
室蘭市や各種地名本が採る読みで、通常「小さな坂道」と訳される。著者はこれを最初に唱えたのは知里真志保であろうとする。自動詞 ran を接頭辞 e- で受け、ru-e-ran-nay の末尾 nay を形式名詞 i に置き換えた形。山田秀三がこの説を追従し、『アイヌ語地名の研究2』の「ルベシベ」で「ルエラニ」を解説したことで広く流通した。
反論
- 江戸時代の記録に「モルエラニ」は一つも現れず、この表記が出てくるのは昭和の戦後になってからであろうと著者は見る。「主名詞+自動詞」型の地名はシュマサン、シュマレタㇻ、シュマペㇾケ、ナイポロ、イシカリのように単独で文法に適っており、間の e- も末尾の i も必要ない。 — zenibako_trek zenibako_trek…
各要素は辞書にある語で分析も文法に適うが、この形自体が文献に現れず、記事はその初出を戦後に置く。
mo-ru-ran-nay
モルランナイ ‘小路を下る川’ 提案提唱者: 元室蘭村アイヌ(『北海道蝦夷語地名解』所引)
永田方正は室蘭で4説を集めたうえでこれを採り、これは村中にある川の名でありホトエウシの坂の名ではないとして「場所を異にするは惜しむべし」と付け加えた。著者はモルランとホトエウシがそもそも別の場所の地名なので問題はないとする。
反論
- ran は自動詞で名詞を1つしか持てないのに、ここでは ru と nay という2つの名詞を抱えている。 — zenibako_trek zenibako_trek…
各要素はその意味のまま辞書にある語だが、自動詞が2つの名詞を取るという文法上の問題が残る。
mo-rueran-hotuye-usi
モルエランホトゥエウシ ‘小坂を下り舟を呼ぶ処’ 提案提唱者: 絵鞆アイヌの言い伝え(『北海道蝦夷語地名解』所引)
永田地名解の第一説。山道が開ける以前、絵鞆村のアイヌが小舟でこの地に渡り、山中で猟をし、小坂を下って「ホトゥエウシ」の岩上に上り、絵鞆の舟を呼んだという。ホトエウシはモルランの東にある岬の名で、現在は白鳥湾展望台がある。著者はこれを hotoye-us-i「いつも叫ぶ処」の意味だろうかとする。
語り伝えられた習慣に基づく解であり、この長い形は記録された表記のいずれにも痕跡を残さない。
moru-ye-ran
モルイェラン ‘髪膿下る’ 提案- moru-ye ‘髪膿’
- ran ‘下る’
提唱者: 幌別アイヌ(『北海道蝦夷語地名解』所引)
絵鞆アイヌを室蘭に移す以前、この地に住んだ一老夷が癪を病み膿液が髪毛より垂下したことによるという。永田は moru-ye-ran という切り分けと「髪膿下る義」という全体の訳を示すのみで、各要素の語義は挙げていない。
反論
- 永田方正は「この説は悪口と云うべし」とし、「且『ラン』の語尾にては地名に適せず」と付け加える。 — 永田方正 zenibako_trek…
各要素の語義を欠いたまま切り分けだけが伝えられており、拠り所となる話は一老人の病である。
moru-ran
モールラン ‘肉襦袢にて坂を下る’ 提案- moru ‘肉襦袢’
- ran ‘下る’
提唱者: 和人某(『北海道蝦夷語地名解』所引)
山中で熊に追われた婦人が衣を脱ぎ棄て、肉襦袢のみでホトゥエウシに下って舟を呼び、熊害を免れたという話による。
反論
- 永田方正は「此説は取るに足らず」と退けている。 — 永田方正 zenibako_trek…
第一要素は記事の報告する限りアイヌ語の語として現れず、これを集めた永田自身も退けている。
mo-ru-ran
モルラン ‘小さな道が下る’ 提案提唱者: 上原熊次郎 (Uehara Kumajirō)
アイヌ語通訳の上原熊次郎が文政7(1824)年の『東西蝦夷地名考並里程記』で示す読みで、松浦武四郎の時代より半世紀ほど古い。「モ」が「小さき」、「ルー」が「道」、ランが「下る」。著者はこれを採り、意訳して「小さな坂道」とする。
根拠
- 形態パターン
「主名詞+自動詞」型の地名は全道にある。シュマサン suma-san〈岩が突き出る〉(石山・手宮)、シュマレタㇻ suma-retar〈岩が白い〉(張碓)、シュマペㇾケ suma-perke〈岩が裂けている〉(蘭島)、ナイポロ nay-poro〈川が大きい〉(内幌・樺太)、イシカリ i-sikari〈それ(川)が回る〉(石狩)。著者はこれを etu-pirka〈くちばしが美しい〉にちなんで「エトピリカ構文」と呼ぶ。
- 同型地名
「ルーラン」ru-ran〈道が下る〉という地名は襟裳や濃昼などあちこちにある。
- 文献
江戸期の史料は「モロラン」「モルラン」「ムルラン」と書き、この読みはそのいずれにも直接対応する。著者はモルエラニがモロランに転訛したとする説明はアイヌ語地名の転訛の範疇を大幅に越えているとする。
反論
- 永田方正は「『ラン』の語尾にては地名に適せず」とする。 — 永田方正 zenibako_trek…
3要素とも与えられた意味のまま辞書にある語で、記録された表記にそのまま対応する。ran で終わる地名への永田の批判に答えるのは、著者自身が集めた「名詞+自動詞」型地名の一覧のみである。
Mo-ru-ran-kotan
‘ゆるやかに下る道の村’ 提案提唱者: John Batchelor
旧モロランへ山を越える旧道をよく言い表している。
1905年刊行のバチェラーの辞典に印刷された読みと語義。分節はバチェラー自身のもので、その要素のいくつかは辞書の見出し語に対応しない。
用例
- モロラン 文献 Edo period 東西蝦夷山川地理取調図; 伊能図; 今井原図; 間宮河川図; 東蝦夷日誌; 武四郎廻浦日記; 蝦夷巡覧筆記; 北夷談; 東行漫筆; 観国録; 絵図面方角道規地名控; 文化蝦夷図; 蝦夷闔境輿地全図; 改正蝦夷全図; 松前蝦夷地嶋図; 松前絵図; 東韃沿海図
松浦武四郎、伊能忠敬、間宮林蔵、今井八九朗、最上徳内の地図や日誌はいずれも「モロラン」。江戸時代の史料に「モルエラニ」は一つも見えない。
zenibako_trek… - モルラン 文献 1727 享保十二年所附zenibako_trek…
- ムルラン 文献 Edo period 木村蝦夷日記
著者はこのウ音・オ音のゆれを、ウショロが忍路オショロとなるような和人の聞き取りの混同と見る。
zenibako_trek… - モルラン 文献 1824 東西蝦夷地名考並里程記(上原熊次郎)
通訳の上原熊次郎は、モロランはアイヌ語の「モルラン」で、「モ」が「小さき」、「ルー」が「道」、ランが「下る」と記す。
zenibako_trek…
関連地名
- 絵鞆 えとも — モルランの西にある半島。江戸中期の史料ではモロランよりもエトモのほうが古くから出てくる。モルランに陣屋ができたことで室蘭の名が半島側にも広がった。 zenibako_trek…
- ホトエウシ — モルランの東にある岬で、ここから絵鞆の舟を呼んだという。著者は hotoye-us-i「いつも叫ぶ処」の意味だろうかとする。現在は白鳥湾展望台がある。 zenibako_trek…