北海道後志地方余市町
奴津知
ヌッチ Nuttiヌッチ川は余市川での漁獲権を持たない下ヨイチ場所の鮭の川であった。その漁獲は余市川に比べてかなり少なく、下ヨイチの地位が上がるのは江戸後期に和人による鰊漁が始まってからである。鰊は岩場の浜でよく採れた。
アイヌ語表記: Nutti・Nuuti・Nuti
語源分析
nu-us-i
ヌウシ
豊漁のあるところ
- nu 豊漁
- us いつも〜する
- i ところ
提唱者: 永田方正 (Nagata Hōsei)
河川標識は「アイヌ語でヌオチ(Nu-ochi)。ヌーは「豊漁」、ヌーウシ或いはヌオッチは「漁獲の多い所」。ヌオチが転訛してヌッチとなった。」とする。これは永田地名解に基づく解釈である。定説は nu-us-i と nu-ot-i のいずれかで、意味は「漁獲の多い所」。ヌッチ川では実際に多くの魚が穫れたといい、日勝峠のあたりのペンケヌーシ/パンケヌーシが類例となる。
異形
- nu-ot-i ‘豊漁のあるところ’ — 河川標識が「ヌオチ」と書く形。
反論
- あれだけ表記にブレがあるにも関わらず「ヌウシ」や「ヌオチ」と書かれている文献が見えない。ヌッチ川で漁をした下ヨイチ場所は余市川での漁獲権を持たず、漁獲量の差も大きい。1739年頃の運上金は余市町史の計算によると上ヨイチ場所が約140両、下ヨイチ場所は20両足らずで、上ヨイチは鮭の割合が非常に高い。隣の余市川を差し置いてヌッチ川を「漁獲の多いところ」と称することは考えにくい。 — zenibako_trek zenibako_trek2024
not
ノッ
沙の岬
提唱者: 松浦武四郎 (Matsuura Takeshirō)
『西蝦夷日誌』による。「ノツ(ヌウチ川と云、橋有)、訳て沙の岬の事なりと」。not を使った地名は根室の野付半島、蘭越の能津登岬、石川の能登半島など各地に見られる。
異形
- nup ‘野原’ — 著者が積丹の野塚 nup-ka「野の上」から、似た音の語幹として挙げたもの。確たる保証はないとして保留にしている。
反論
- それらの地名ほど岬の形象ははっきりとは現れていない。ヌッチ川河口の東岸は現地で見ると少し突き出た丘にはなっているが、岬とは呼べないものだろう。 — zenibako_trek zenibako_trek2024
nuti
ヌチ
瀞
- nuti 瀞:川の水が緩やかな所
提唱者: 山田秀三 (Yamada Hidezō)
山田は『北海道の地名』で参考案として挙げ、断定を避ける。「知里博士地名アイヌ語小辞典には「nut,-i。川が一様の深さでゆるやかに流れている所:とろ」という語がある。「そのヌッ」という時はヌチ(nuchi)となる。この川は大川ではないが、ゆったりとした川なので、もしかしたらと思って参考のために書き添えた。」 nuti は nut の所属形で、1単語で地名になるときはこのように長形にすることも多い。瀞とは「川の水が深くて流れが非常に静かな所」である。
根拠
- 同型地名
山二つこえた向こうの尻別川にヌッチがあり、明治2年の『恵曽谷日記』はその和名を長瀞とする。隣のノタヘツは nutap-pet で、和名は大曲。
- 地形
ヌッチ川の河口から600m あたりにかけてはほとんど水の流れが見られず、海からの風で逆に上流へ向かってわずかに波立つ。小学校裏の沢は標高 -0.4m で海水面より低い。近くの「滝沢橋」は、川が増水するとしばしば床上浸水した滝沢さんの名に由来する。
- 形態パターン
周辺の派生地名も同じ語幹で読める。ノツカ(野束)の背後に nut-ka「瀞の上」、野束川に nut-ka-(o)-pet。ヌッパヲマナイに nut-pa「瀞の上手」と nut-pa-oma-nay「瀞の上手にある沢」。ヌッチカペタイは nut-ka-pet-tay「野束川の林」、ヌッチカガタイは nut-ka-ka-tay「野束の上の林」、ヌッフコチは nut-kot「野束谷」、ヌッチコペパニは nut-kot-pet-pani。野束はヌッチと呼ばれたところのやや上方、沢町から豊丘のあたりにあたる。記事はこの一群についてもう少し検討の余地があるとする。
用例
- ヌッチ 地図 modern 地理院地図・土地連絡図・行政区画・梨本氏蔵書
ヌッチの表記は非常にブレが大きく、主要な地図では何一つ統一されていない。総合してみると「ヌッチ」ないし「ヌウチ」あたりが多い。「ス」から始まるものは「ヌ」の誤字と思われる。
- ヌウチ 文献 Edo to early Meiji 林家文書・天保郷帳・天保里数書・恵曽谷日記
- ヌッチー 地図 Edo period 伊能大図
『高橋蝦夷図』には「ニブチー」とある。
- ノツ/ヌツハヲマナイ 文献 Edo period 松浦日記・松浦山川図
- ヌッチカフ/ヌッフコチー/ヌッチコペパニ/ヌッチカガタイ/ヌッチカペタイ/ノツカ(野束) 文献 Edo to Taishō 秦蝦夷島図・今井測量原図・土地連絡図・行政区画・道庁切測図
後ろに音がつくパターンの表記。字名として出てくる「ヌッチカペタイ」「ヌッチコペパニ」はかなり重要なヒントを与える。
- ヌッチ 文献 1869 恵曽谷日記(山田民弥)
両岸に柳が多い、ノタヘツ(和名は大曲という)。左は、小川、ヌッチ(和名は長瀞という)
山二つこえた向こうの尻別川での記述。そのヌッチの和名は長瀞である。明治の五万分一地形圖(1888)にはナガドロが見え、尻別川には現在も長瀞橋という古い橋がかかっている。
- nu 辞典 1996
【名】[概](所は nuwe ヌウェ)(連他動詞の前部要素)狩猟や漁や採集や交易の収穫が多いこと、豊漁。
田村の別項の nu は他動詞「聞く」である。
田村1996 s.v. nu - Nu 辞典 1905
Nu … part. Suffixed to nouns nu has the force of nuye an, "to be abundant." As:—Chepnu, "an abundance of fish." Yuknu, "plenty of deer."
バチェラーは Nu-ush「豊富な」も載せる。バチェラーにも田村にも nut の項はなく、記事はこれを『地名アイヌ語小辞典』に拠って引く。
Batchelor1905 s.v. Nu (part.) - Nutap 辞典 1905
Nutap, ヌタプ, n. The inside of a bend in a river. An isthmus.
『恵曽谷日記』のヌッチの隣にあるノタヘツは nutap-pet で、和名の「大曲」はその語義と合う。記事はこの対応をアイヌ語によく通じた命名者の仕事と見る。
Batchelor1905 s.v. Nutap
関連地名
- 野束 のつか — nut-ka「瀞の上」。ヌッチと呼ばれたところのやや上方、沢町から豊丘のあたり。野束川は nut-ka-(o)-pet「瀞の上にある川」。 zenibako_trek2024
- モイレ もいれ — moyre は波の静かな場所を指す。元禄郷帳は下ヨイチ場所を「モイレ」とし、下ヨイチ運上屋はモイレ山の麓にあった。隣の忍路場所もモイレと呼ばれたことがあり、シャクシャインの戦いの際にヨイチの大将が会議の場に忍路湾を選んでいることから、忍路はヨイチアイヌの勢力下にあったと見られる。著者は、この地名が三方を山に囲まれた忍路湾のほうにぴったり当てはまるとし、アイヌがモイレ山の麓をシュマオイ(岩の多い所)と呼んでいた記録があることを挙げる。 zenibako_trek2024
出典
- 下ヨイチ場所とヌッチ・梅川の由来
zenibako_trek·2024-07-26
- An Ainu-English-Japanese Dictionary (including A Grammar of the Ainu Language)
Batchelor, John·1905
- アイヌ語沙流方言辞典
田村, すず子·1996