北海道石狩市浜益区雄冬および留萌地方増毛町との境
雄冬
おふゆ Ofuyu江戸期の記録は一貫して o で書き、名を集落に置く。そこから岬に移った。測量図は現在の石碑より北、雄冬集落と岩尾集落の中間により長い形「ヲフイヲマフ」を載せる。どの岬を指すかは、松浦が境目論争を予告して以来定まっていない。
アイヌ語表記: Ohuy・Uhuy・Ohuy-oma-p
語源分析
uhuy
ウフイ
燃える
提唱者: 山田秀三 (Yamada Hidezō)
山田秀三は『北海道の地名』で「海岸の絶壁には赤い岩層が大きく、目立つように露呈している。それで uhuy という名で呼ばれたのではなかろうか」とする。岬をドローンで空撮した映像でも崖の壁面が見事に赤い。
反論
- uhuy は自動詞であり、動詞が単品で地名になることはめったにない。こういった地形はもっと直接的に hure-pira「赤い崖」と呼ばれるのが一般的である。江戸期の記録に u で始まる表記はない。 — zenibako_trek zenibako_trek2023
uhuy-p
ウフイㇷ゚
焼ケタル處
提唱者: 永田方正 (Nagata Hōsei)
永田方正は形式名詞の p を補い、地名の法則に従うかたちにしている。明治20年ころの道庁実測切図はこの解を反映してか集落に「ウフイプ」と記し、以後これが定説となった。雄冬岬のWikipedia記事も「ウフイ(燃える)」と「ウフイㇷ゚(燃えるところ)」の両方を挙げる。燃える所とは雄冬岬の崖のあたりとされる。
反論
- 「ウフイプ」の u は江戸期の記録に現れず、そこでは一貫して「オフイ」「ヲフイ」と書かれる。 — zenibako_trek zenibako_trek2023
uhuy-nupuri
ウフイヌㇷ゚リ
燃える山
提唱者: 更科源蔵 (Sarashina Genzō)
更科源蔵は「雄冬の語源はウフイㇷ゚で燃えているものの意味、噴火して煙の上っている所に名付けられた地名で、現在の雄冬山か、雄冬の近くに噴煙を上げていた所に名付けられたものと思われる」とする。uhuy-nupuri は火山のことで、苫小牧の樽前山などがそう呼ばれている。
反論
- 増毛山地やその周辺に活火山は一つもなく、近年火山活動が確認されたものもない。増毛山地の火山活動はおよそ720万年前〜180万年前とされ、「噴火して煙の上がっている所」は記録を見る限り存在したとは言い難い。あえて言うなら岩尾温泉の煙だろうか。 — zenibako_trek zenibako_trek2023
o-puy-oma-p
オプイオマㇷ゚
川尻に蝦夷立金花のある所
提唱者: zenibako_trek(小樽銭函地名歴史研究会) (zenibako_trek (Otaru Zenibako Place-Name and History Society))
puy は岩穴、また蝦夷立金花(エゾノリュウキンカ、谷地蕗)の根で、春先に沢や湿地で黄色い花を咲かせるキンポウゲ科の草である。花が咲く前に茎葉を食べ、花が終わった後に根を掘り出して食べる。ブイウシ、ブイダウスといった地名は全道各地にあり、いずれも根を掘って食糧にするところである。著者はこの読みを、赤岩覆道地帯の「武好トンネル」、さらに増毛山道の武好駅逓のあった内陸の地名から得ている。その一帯は「フイウシ」puy-us-i と呼ばれていた。著者は両方の読みが立つとし、「燃える所ウフイ」説も少なくとも200年の間受け入れられてきたこと、燃えるような崖や岬が顕著に見られること、元々はオプイだったものがいつしかウフイと読み替えられて意味として定着した可能性を述べる。
異形
- o-puy-us-i ‘川尻に立金花が群生する所’ — 著者が並べて挙げるもう一つの形。根を掘って食糧にする puy-us-i 型の地名にならう。
根拠
- 形態パターン
「〇〇ヲマプ」は -oma-p「〜がある所」で、〇〇のところにはものを表す名詞が入り、「燃える」という動詞は入らない。よって uhuy-oma-p はこのままでは文法的におかしく、記録された「ヲフイヲマフ」は第一要素に名詞を要求する。
- 文献
松浦武四郎『西蝦夷日誌』は増毛山道について「ホロフイウシナイ源(小石流)、此處流泉草フイ多き故號く」と記す。著者はこのフイが本当にエゾノリュウキンカだったのかを問い、大別苅の水源あたりで蝦夷立金花が咲いていたというヤマップの報告を挙げる。
- 文献
安政4年の『観国録』は集落をオフイと呼び岬の名はそこから得たとし、測量図はヲフイヲマフを載せるのに対し古い図は岬に名を記さない。よって名はまず集落に属し、次にエナヲ岬に、やがてより目立つ南の岬へと移ったと見る。
用例
- ヲフイ 文献 19th century 天之穂日誌(松浦武四郎)
ヲフイ 大焼山の下也。ヲフイは焼ると云事。焼山岬によって号けり。扨当時は惣じて此辺の名をヲフイと云て是より十八丁北なるエナヲサキをヲフイ岬と心得て居ること也。然れどもヲフイと云うは此処、境目とする地は則エナヲサキの事なり。後世恐らくは此境目論所とならん。
松浦はヲフイを「焼る」と訳し、人々がここから十八丁北のエナヲサキを雄冬岬と心得ていると報告しつつ、境目とする地はエナヲサキだとする。
- オフイ 文献 1857 観国録(石川和助)
オフイ岬より七~八町許にて僅に人居を置り。番屋一棟及ひ板倉納屋等あり。此処を「オフイ」と云。岬名 是より得る也。
集落が名を負い、岬の名はそこから得たとする。同書は「タマキ(タンパケ)岬に並びてオフイ岬を得る」と、両岬が並び合うことも記す。
- ヲフイヲマフ 地図 19th century 今井測量原図; 伊能大図(ヲヒヨマツフ); 間宮河川図(ヲヒヲマプ)
測量的に正しい3図はいずれもヲフイヲマフを北寄り、ケマフレやトレフシの近く、現在の雄冬集落と岩尾集落の中間、雄冬岬の石碑より約2.5km北に置く。カムイアバのある浜益トンネル側ではない。今井図は「ヲフイサキ」と「ヲフイヲマフ」の両方を載せるのに対し、より古い伊能大図と間宮河川図は岬に何も書かない。集落の地名が先で、岬の名は後になる。
- Uhuip ウフイプ 文献 Meiji era 北海道蝦夷語地名解(永田方正)
Uhuip ウフイプ 焼ケタル處
- ウフイプ / ウフイヌプリ 地図 c. 1887 道庁実測切図20万分の1
雄冬の集落に「ウフイプ」、雄冬山に「ウフイヌプリ」とある。江戸時代の旧記類のカナ表記は一貫して「オフイ」「ヲフイ」で、「ウフイ」や「ウフイプ」とするものは一つもない。
関連地名
- ケマフレ(赤岩岬) — 雄冬トンネルの通る赤岩岬。kema-hure「脚が赤い」と読む。著者は、アイヌ語地名では顎(ノツ)、鼻(エト)、頭(パ)などの人体語が岬の名称に使われるので、脚(ケマ)もあり得るとする。近くのフレシマは hure-suma「赤岩」で、全道各地に非常によく見られる地名。岬北側の覆道が連続する地帯は特に赤い岩肌が目立ち、著者はこれを「燃える所」の候補とする。 zenibako_trek2023
- 武好 ぶよし — 海岸のトンネル名で、もとは増毛山道の武好駅逓があった内陸を指す地名。増毛山道は3つの山を越え最高標高は1000mを越える。駅逓のあるあたりは「フイウシ」puy-us-i「蝦夷立金花の多い所」と言っていた。 zenibako_trek2023
- エナヲ岬 — 雄冬港の近くにある岬。松浦武四郎『天之穂日誌』はこれを雄冬岬とし、境目とする地とする。今も石狩市浜益区と増毛郡増毛町の境界である。 zenibako_trek2023
出典
- 雄冬岬 ~その位置と由来~
zenibako_trek·2023-12-18