北海道北部・留萌地方留萌市
留萌
るもい Rumoiこの名は明治2年の松浦の案「留萌ルルモエ」を経て現在の形になり、ルモイと読まれる。北海道に数あるモイ地名の中で最も有名なこの地名がモイ地名ではない。ルルモッペのアイヌはソウヤ勢力の圏内にあった。宗谷地方を束ね樺太やアムール川流域と交易した浜頓別の大酋長チョウケンはルルモッペの酋長コタンピルの祖父にあたり、二人とも山丹服を着ていた。当地では平安時代末期の兜や甲冑も見つかっている。
アイヌ語表記: Rurmoppe・Runnumonpetsu
語源分析
rur-mo-ot-pe
ルㇽモオッペ
潮が静かに入る所
提唱者: 上原熊次郎 (Uehara Kumajirō)
1824年の『蝦夷地名考并里程記』が最初に唱えたもの。「ルヽモツペ 夷語ルヽモヲツペの略語なり。則、潮の静に入る所と訳す。扨、ルヽとは潮の事。モは静と申事。ヲツは入る。ペは所と申事にて、満汐之節、此川へ潮の入る故。此名あるといふ。」 以来、概ねこの説が取られている。留萌市公式ホームページは「アイヌ語のルルモッペが語源。ルルは(汐)モは(静)ヲッは(ある)ペは(水)のこと。「汐が奥深く入る川」という意味で、留萌市を流れる留萌川から名づけられている。」とし、留萌川河川標識は「昔はルルモッペと呼び、語源はアイヌ語であると言われています。その意味については諸説ありますが、古い記録には「潮の静かに入るところ」という意味が書かれています。」とする。市街地の奥には潮静という地区があり、大潮の時はそのあたりまで潮が入っていくという。
反論
- 「留萌の語源について「ルル・モ・ペッ」(潮静川)から転じたという説があるが肯けない。」 — 『北海道駅名の起源』 zenibako_trek2024
- この形は類例を見ない。文法的に誤っているわけではない。この mo の掛かり先は rur であり、「波が静か・〜な所につく川」くらいの訳になって意味は逆転してしまう。 — zenibako_trek zenibako_trek2024
rur-pa-moy
ルㇽパモイ
海のかみての湾
- rur 海
- pa かみて・頭
- moy 湾
提唱者: 『北海道駅名の起源』の執筆者(記事は知里真志保を推す) (the compilers of 『北海道駅名の起源』 (the article suggests Chiri Mashiho))
『北海道駅名の起源』による。「この地は古く「ルル・パ」(海・のかみて)といったらしい節がある。留萌はおそらく「ルルパ」の「モイ」(湾)だったのではなかろうか。普通に留萌の語源とされている「ルルモッペ」はこの湾に注ぐ川の名で、語源は「ルルモイ・ペッ」あるいは「ルルプンペッ」(ルルパの川)の転訛と思われる。」 湾を指す rur-pa-moy、そこに注ぐ川を指す rur-moy-pet、および rur-pa-un-pet「海のかみてにある川」の三つを並べる。記事は執筆者を知里真志保と推し、その歯切れの悪さを定説への疑問と読む。
異形
- rur-moy-pet ‘海の湾の川’ — 同じ箇所で湾に注ぐ川の名とされる形。
- rur-pa-un-pet ‘海のかみてにある川’ — 同じ箇所で「ルルプンペッ」として挙げられる形。
反論
- 旧記類に「ルルパ」「ルルモイペッ」といった表記は現れておらず、この説に妥当性があるとは言い難い。 — zenibako_trek zenibako_trek2024
ru-un-mo-pet
ルウンモペッ
道がある小川
提唱者: 松浦武四郎 (Matsuura Takeshirō)
松浦武四郎は今井図の「ルンヌモンベツ」の「ルン」を ru-un「道がある」と解釈した。
反論
- この読みでは「ルンヌモンベツ」にはなっても「ルルモッペ」にはならない。圧倒的多数を占める表記に届かない。 — zenibako_trek zenibako_trek2024
rur-rum-ot-pet
ルルモッペッ
海岬につく川
提唱者: zenibako_trek(小樽銭函地名歴史研究会) (zenibako_trek (Otaru Zenibako Place-Name and History Society))
この読みの rur-rum は留萌港の黄金岬で、その上の日和山にはかつて烽火台が置かれた。ot は「くっついている」のほか、水の場合は「溜まっている/染み出る」といったニュアンスを持つ。記事は二語について『地名アイヌ語小辞典』を引く。「rur, -i るㇽ 海;海水」「rum るㇺ ①頭。ay・rum[矢・頭]やじり。②みさき。chi・nukan・rum[見える・崎]」。
根拠
- 形態パターン
著者は『アイヌ語入門』p171 の「r は r の前に来れば n になる」という規則を適用し、rur-rum-ot-pet から runrumoppet を導く。今井図の「ルンヌモンベツ」との差は転訛として許容できる範囲とする。r の音韻転訛は必ずしも起きるわけではないので「ルルモッペッ」とも発音でき、一つの形が記録された双方の形に届く。
- 同型地名
襟裳岬は en-rum「尖った岬」。黄金岬は襟裳岬ほど尖ってはいないが、岬の上の日和山にはかつて烽火台が置かれ、ランドマークであったことを示す。記事は『北海道駅名の起源』の rur-pa の pa も rum と同様に「頭/岬」をあらわす語であり、rur-rum と rur-pa はほとんど同じ意味だと述べる。
- 地形
治水工事以前の留萌川は河口付近が大きく黄金岬に近接し、日和山の丘にぶつかって曲がり、そこで海に落ちていた。留萌港の掘り込み式になっているところはかつて留萌川が流れていたところである。1891年の『天塩国留萌郡新旧市街全図』、明治4年の目賀田帯刀『北海道歴検図 天塩州 留萌』がその流路を示す。現在の留萌川は黄金岬からだいぶ離れたところに流れ落ちている。
Ruru-oma-pe
塩気のある水
提唱者: John Batchelor
ただしこの名は本当は Ruru-nuppe「塩の野の水」かもしれない。
異形
- Ruru-nuppe ‘塩の野の水’
用例
- つるをつへ 地図 1700 元禄国絵図・元禄郷帳
留萌の地名は元禄期に初めて出てくる。
- つつもつへ/ヌルモンヘ 文献 1727 享保十二年所附および附図
- ルヽモツヘ 地図 1821 伊能大図
元禄期以降はほとんどの記述が「ルルモツペ」「ルルモツヘ」で共通している。
- ルンヌモンベツ 地図 1841 今井測量原図
今井八九郎は初めて北海道一周を船で詳細に測量した人物で、その地名の位置は非常に正確で細かい。同図には「ルヽモツヘ運上屋」という記述もあり、この表記がただの誤字ではないことがわかる。松浦武四郎も『廻浦日記』のなかでこの図を引用している。
- 留萌ルルモエ/留持ルルモツ 文献 1869 松浦武四郎による町名案
松浦武四郎が明治2年に出した町名の案は2つあり、そこから「留萌ルルモエ」となり「留萌ルモイ」と読まれるようになった。江戸時代の記録にルルモイという記述はどこにも見当たらない。
- rur 辞典 1996
【名詞語根】海水。
田村の別項の rur はこの語根から派生した名詞「汁」である。
田村1996 s.v. rur - rum 辞典 1996
【名】もり先(repa レパ《ツノザメ漁》をする op オㇷ゚《槍、もり》の先につけるもの…)。
沙流方言辞典の rum は銛の先端の意味に限られる。
田村1996 s.v. rum - Rum 辞典 1905
Rum, ルム, n. An arrow head. / Ai … As:—Ai-rap, "feathers of arrow shafts." Ai-rum, "an arrow-head."
バチェラーは知里の地名辞典が「先端」の語義に引く複合語 ay-rum も載せる。
Batchelor1905 s.v. Rum; s.v. Ai - mo 辞典 1996
【自動】[古(?)]静かである、働かないでいる(?)。
田村1996 s.v. mo
関連地名
- 黄金岬 おうごんみさき — 留萌港の岬で、著者が地名の rur-rum と見るもの。その上の日和山には烽火台が置かれていた。 zenibako_trek2024
- 襟裳岬 えりもみさき — en-rum「尖った岬」。北海道でもっとも有名な rum 地名。 zenibako_trek2024
- アフンシラリ あふんしらり — ルルモッペとマシケの境界の岩礁。ルルモッペのアイヌが属したソウヤ勢力とイシカリ勢力の境界でもあったかもしれない。 zenibako_trek2024
- オタモイ・島武意 おたもい・しまむい — 道内各地にある「モイ」地名。著者は留萌について rur-moy「潮の入江」や rur-rum-moy「海岬の入江」を退ける。江戸時代の記録にルルモイはなく、現在の読みは明治2年の「留萌ルルモエ」に由来する。 zenibako_trek2024
出典
- 留萌(ルルモッペ)の由来 ~海岬の川~
zenibako_trek·2024-05-23
- アイヌ語沙流方言辞典
田村, すず子·1996
- An Ainu-English-Japanese Dictionary (including A Grammar of the Ainu Language)
Batchelor, John·1905