北海道後志地方寿都町・黒松内町
朱太
しゅぶと Shubuto朱太川の河口にはススキや葦が群生して穂をつけており、「葦の川」という表現は見た目からまるきり外れてはいない。名そのものの文献表記は「シユブト」「シユフトベツ」「スツヽ川」である。
アイヌ語表記: Sut-putu・Supki-pet-putu
語源分析
supki-pet-putu
スㇷ゚キペップトゥ
アシの川の河口
提唱者: 榊原正文
「朱太(シュブト)」を supki-pet-putu(アシの・川・の河口)の中略の音訳とし、本来は朱太川河口を指したものが後に河川全体に拡大したと推定する。朱太の「太」は putu〈河口〉で、当別太・江別太・空知太などに見られる地名形態である。
反論
- 江戸時代の地図・旧記で「スプキベツ」としているものはひとつもなく、pet は解釈者が書き加えたものである。ki を書いたのは松浦図だけで、武四郎自身も現地でその音を聞いていない。 — zenibako_trek zenibako_trek2023
sut-putu
シュプトゥ
スッツの河口
- sut 端・根本
- putu その河口
提唱者: zenibako_trek(小樽銭函地名歴史研究会) (zenibako_trek (Otaru Zenibako Place-Name and History Society))
スッツ側に流れ落ちる川を「スッツ川」と呼び、その河口部を「スッツブト」と呼んだ。河口の名がやがて川そのものの名となって朱太になった。江戸期の地図に「スツヽ川」と書いた例がいくつもあるのは、その前の段階である。この読みでは川の名は集落の名と同じ語に putu を加えたものになる。
異形
- sutu-putu ‘スッツの河口’ — 地名を所属形で取ったときの形で、「スツプトゥ」と書かれる。
根拠
- 同型地名
川名に putu をつける地名は江別太・空知太・当別太・幌内府など各地に見られ、いずれもそれぞれの川の河口部を指す。
- 文献
蝦夷全地・西蝦夷海岸之図・西蝦夷地分間はいずれも川を「スツヽ川」「スツツ川」と書いており、川が集落の名を負っていたことがわかる。
用例
- シユフキ 地図 Edo period 東西蝦夷山川地理取調図
江戸時代の地図・文献で「シュフキ」もしくは「シュプキ」と書いたのは松浦武四郎ただ一人である。
zenibako_trek2023 表「江戸時代の地図・里程表より」 - シユブト 地図 Edo period
間宮図と伊能図の形。今井図は川名として「シユフトベツ」とする。
zenibako_trek2023 表「江戸時代の地図・里程表より」 - スツヽ川 地図 Edo period
蝦夷全地と西蝦夷海岸之図は「スツヽ川」、西蝦夷地分間は「スツツ川」と書く。
zenibako_trek2023 表「江戸時代の地図・里程表より」 - シユフフトベツ 文献 Edo period 竹四郎廻浦日記
シユフフトベツ 略してシユツフベツと云。
関連地名
- 寿都 すっつ — 著者の読みで川の名の元となった地名。川筋に住んでいたアイヌが岩崎に移され地名も移動し、元のスッツ場所はスッツブトになった。 zenibako_trek2023
- 岩崎 いわさき — シュマ・テㇽケ・ウシ。漁所と運上屋が開かれた場所で、現在の寿都港のあたり。 zenibako_trek2023
出典
- 寿都の由来 ~スッツ地名考~
zenibako_trek·2023-09-27
- 弁慶岬と義経弁慶伝説・寿都西部の地名由来
zenibako_trek·2024-12-28
- アイヌ語沙流方言辞典
田村, すず子·1996