寿都 すっつ Suttsu
北海道後志地方寿都町
アイヌ語表記: Sutu・Sut・Supki
寿都・歌棄・留寿都は後志に近接し、後の二つは sut〈根本・端〉で読まれる。定説は寿都だけをその系統から外し、朱太川と寿都場所の移動を経由して supki〈葦〉に由来させる。江戸期の表記はほぼ一貫して「スツヽ」「シユツツ」であり、唯一の「シユフキ」は、先行の地名考の訳から読みを取った地図に属している。
位置
42.7910, 140.2290 · 座標:OpenStreetMap Nominatim, 2026-09-10。寿都町 の位置。 OpenStreetMap で開く
指示対象
- 集落 寿都町。江戸時代は朱太川より西の「西の寿都スッツ」で、東は歌棄ヲタスツ。スッツ運上屋は現在の寿都港のある岩崎に置かれた。
- 川 朱太川。江戸期の地図には「スツヽ川」と書かれたものがいくつもある。
- 海岸 寿都湾の砂浜が終わり磯浜に変わる地点。湾をはさんでヲタスツと向かい合う。
語源分析
supki-pet
シュㇷ゚キペッ ‘矢柄に用いる茅のある川’ 定説提唱者: 永田方正 (Nagata Hōsei)
定説。現在の朱太川を supki-pet〈茅の多い川〉とし、寿都をその転訛とする。寿都町公式ホームページは「スツツヘツ」を中間形として挙げる。supki は平原の水辺に広く見られるイネ科の茅の仲間全般を指し、朱太川の河口にも生えている。
根拠
- 文献
更科源蔵は、朱太川筋に住んでいたアイヌを漁所を開く際に岩崎(シュマ・テㇽケ・ウシ)へ移し、そのとき場所の名を「シュプキ場所」と称したと伝える。
反論
- 江戸時代の地図・旧記に「スプキベツ」としているものはひとつもなく、既存の地名解が pet を勝手に書き加えている。地図類で「シユフキ」と書いたのは松浦図ただ一つで、しかもそれは川に対する表記である。 — zenibako_trek zenibako_trek…
- 隣にウタスツが、近くにルスツがあるのに、スッツだけがシュプキとされる。シュプキがスッツになる過程の説明がなく、ki の音がどこへ行ったかの説明もつかない。 — zenibako_trek zenibako_trek…
- 瀬棚の北の須築にも同じ supki 解が与えられており、シマコマキ場所の東隣と西隣に全く同じ由来の場所が二つ並ぶことになる。須築の文献表記は末尾が「キ」でぶれないが、寿都はそうではない。 — zenibako_trek zenibako_trek…
supki も pet も辞書にある語で、河口に葦が生えるのも事実であり、語としては無理がない。ただしこの形を記した文献表記がなく、pet は解釈者が補ったもので、ki の脱落も説明されていない。
supki-tu
シュㇷ゚キトゥ ‘茅の崎’ 提案- supki ‘茅・芳’
- tu ‘山崎’
提唱者: 上原熊次郎 (Uehara Kumajirō)
アイヌ通詞・上原熊次郎の地名考。シュプは茅芳等、ツ゜ゥは山崎で、この辺に茅芳が茂るゆえの地名とする。松浦武四郎は明治2年の『蝦夷地道名國名郡名之儀申上候書付』で「シュプウはシュプキの略言にて萩芦の事也。ツ゜ウは山崎の事也」と同じ説明を繰り返し、「芦崎」の字を提案した。説明の類似から、著者は武四郎が上原の地名考を参考にしたと見る。松浦図の「シユフキ」が現地で聞いた音でないのはそのためである。
反論
- 寿都の原名があった朱太川河口付近は平地となっており、tu〈崎/岬〉を使った地名解が妥当であるとは言い難い。supki についても ki の音がどこへ行ったのかという説明がつかない。 — zenibako_trek zenibako_trek…
supki は辞書にある語だが、tu の〈崎〉の意味は提唱者の訳によるもので、ここで参照した辞書には載らない。河口部の地形は崎の地名を支えない。
sutu
スツ ‘その端’ 提案- sutu ‘その端・その根元(sut の所属形)’
提唱者: zenibako_trek(小樽銭函地名歴史研究会) (zenibako_trek (Otaru Zenibako Place-Name and History Society))
sut は位置名詞で単体では地名として成り立たないが、所属形 sutu にすれば名詞から切り離して使うことができる。ota-sut や ru-sut の末尾の「ッ」は閉音節ではっきり発音しないのに対し、sutu は「ツ」を開音節ではっきり発音し、「スッツ」とも聞こえる。今日の寿都が「スッツ」、留寿都が「ルスツ」であるのは、概念形と所属形の違いから来ているのかもしれない、と著者は述べる。何の端かといえば砂浜の端で、スッツとヲタスツは寿都湾の底の砂浜の端と端にあたり、その外側は岩浜になる。
根拠
- 同型地名
留寿都は ru-sut〈道の根本〉で山道の入り口、歌棄は ota-sut〈砂浜の根本〉で、磯谷から続く岩浜が歌棄の番屋を過ぎたあたりで砂浜に変わる場所を指す。かつてヲタスツと呼ばれた場所には「シュツシナイ」という川があり、sut-us-nay〈端にある川〉である。
- 文献
江戸期の地図・里程表で歌棄・寿都・須築の表記を比べると、寿都は須築より歌棄に音が寄っている。頭の「ヲタ」を取れば表記はよく似ており、スッツのほうが「ツ」の音を一つ余分に持つものが多い。今日の「ウタスツ」と「スッツ」もその名残である。
- 地形
衛星写真で見ると、スッツとヲタスツは寿都湾の底の砂浜の端と端にあたる。岩浜と砂浜の区別がはっきりしている側をヲタスツと呼んだのだろう。
sutu は田村辞典に位置名詞として提案どおりの意味で載り、単語一つで統語上の問題がなく、これに異を唱える資料もない。指示対象を砂浜の端とする点は、地図の位置と衛星写真からの読み取りによる。
Shuptu
‘山麓の線、または山々の麓’ 提案- Shuptu ‘山麓の線’
提唱者: John Batchelor
1905年刊行のバチェラーの辞典に印刷された読みと語義。分節はバチェラー自身のもので、その要素のいくつかは辞書の見出し語に対応しない。
用例
- スツヽ 地図 Edo period
普通の表記。蝦夷海岸山道絵図・蝦夷全地・西蝦夷海岸之図・天保郷帳・正保日本図(スツヽヱソ)・絵図面方角道規がこの形。伊能図は「シツツ」、間宮図は「シエツツ」、津軽一統志と元禄郷帳は「すつゝ」、松前西東在郷は「すつ津」。アイヌ語の su は「ス」とも「シュ」とも発音するので「スツツ」と「シュツツ」は同じ。
zenibako_trek… 表「江戸時代の地図・里程表より」 - スツヽ 文献 Edo period 再後蝦夷日誌
スツヽ、今訛りてシンツと云へり。
松浦武四郎は弘化3年と安政3年の二度寿都に立ち寄っている。「シンツ」は他では聞かない音。
zenibako_trek… - スツヽ 文献 Edo period 西蝦夷日誌
スツヽ運上屋 当所地名はシュマテレケウシにて、スツヽは川の名也。
運上屋の置かれた地の名はシュマテレケウシで、スツヽは川の名だという。
zenibako_trek… - シツツト 文献 Edo period 辰手控
スツツは人言、夷言シツツトと云よし
松浦武四郎の野帳。和人が「スツツ」、アイヌが「シツツト」と言うとする。
zenibako_trek…
関連地名
- 歌棄 うたすつ — ota-sut〈砂浜の根本〉。朱太川をはさんで寿都の東。北から磯谷(iso-ya〈岩岸〉)の岩浜が続き、歌棄の番屋を過ぎたあたりから砂浜に変わる。江戸期の表記は「ヲタシユツ」「ヲタスツ」で、寿都のような余分な「ツ」を持たない。 zenibako_trek…
- 留寿都 るすつ — ru-sut〈道の根本〉で、山道の入り口。 zenibako_trek…
- 須築 すつき — 瀬棚の北端の港町で、場所請負制のスッキ場所。寿都と同じ supki〈葦〉の地名解が与えられている。表記は末尾が「キ」でぶれず、間宮図は p を聞き取った「シユブキ」なので、こちらは supki の可能性がある。著者は sotki〈寝床〉の可能性も考えたが保留とし、植物名をそのまま地名にする例は他にあまりないと述べる。 zenibako_trek…
- 朱太 しゅぶと — 寿都の真ん中を流れる川。昔の地図には「スツヽ川」と書いた例がたくさんある。河口にはススキや葦が群生している。 zenibako_trek…