月寒 つきさむ Tsukisamu
北海道石狩地方札幌市豊平区
アイヌ語表記: Chikisap・Chikisappu・Tukisap
地区名・二つの川名・段丘の端がひとつの名を共有しており、提出された読みは名が本来どれを指したかで分かれる。最古の表記「チキシヤフ」「チキシヤブ」は「チ」で始まり、現在の「ツキサム」と地元の「ツキサップ」は「ツ」で始まる。いずれの読みもこの音の移りをどちらかの向きで説明しなければならない。
位置
43.0306, 141.3983 · 座標:OpenStreetMap Nominatim, 2026-09-10。月寒 の位置。 OpenStreetMap で開く
地名表での読み: チキサプ Ci-kisa-p
指示対象
- 集落 国道36号線沿いに栄えた札幌市豊平区の月寒地区。札幌市に編入される以前は月寒村という独立した村落であった。地元では「ツキサップ」の読みが鉄道駅名や月寒神社の祭りに残る。
- 川 月寒地区を挟んで流れる月寒川と望月寒川。「モツキサム」の mo は〈小さい〉で小さい方の月寒川、大きい方は「シイツキサム」とも呼ばれ si は〈本流の〉。
- 山 望月寒川流域に残る崖。月寒公園の干城台に連なる断崖は射撃練習場として使われたこともある。
語源分析
chi-kisa-p
チキサㇷ゚ ‘火を鑚る處’ 定説提唱者: 永田方正 (Nagata Hōsei)
永田方正は Chikisap を〈火を鑚る處、「アカダモ」の木片を鑚ちて火を取りし處〉とし、月寒川の河川標識もこれを繰り返す。これは松浦武四郎に基づく。松浦は火打を忘れた話で名義を説き、「チキシヤブは火打の事なり。依て奏皮アカダモをチキシヤニといへるなり」と述べる。chi-kisa-p という切り分けは著者による。イチイの枝をハルニレの皮にもみぎって火を起こしたといい、ハルニレは chi-kisa-ni〈我ら擦る木〉である。
根拠
- 形態パターン
沙流方言辞典に kisa〈もみぎる(錐で穴をあけるときのように、とがった先をさしてから回転させて)〉、cikisani〈ハルニレの木、ci-kisa-ni される・もみぎる・木〉があり、昔火をおこすのに使ったとされる。
- cikisani ‘ハルニレの木’
反論
- 知里真志保『アイヌ語入門』:「chi-kisa の目的語は -p か? ―いいかえれば 'われらが・こする' のは '場所' かといえばドッコイ!そうはいかない。場所をこすって火を出すなどは、およそナンセンスである。この地名を chi-kisa-p と分析して「火ヲ鑚ル處」「木片ヲ鑚リテ火ヲ取リシ處」などと解したのはそもそも無理無茶無法だったのである。しいてそういう意味に取りたかったら、語法上も無理がないように chi-e-kisa-p「われら・そこにおいて・それを・こす(って火を出す)る・所」などを原形に考え、それの縮約した形として書くべきであった。」 — 知里真志保 zenibako_trek…
- 山田秀三『北海道の地名』:(チキサプ説は)木片をもんで火を作るならどこでもできるので何か地名として変だ。 — 山田秀三 zenibako_trek…
- 更科源蔵『アイヌ語地名解』:どうも地名としてはうなずけない。 — 更科源蔵 zenibako_trek…
- 『札幌地名考』さっぽろ文庫:元来は月寒川に名付けられたものが地名に変わったもので、いずれもうなづきがたい。 — 『札幌地名考』さっぽろ文庫 zenibako_trek…
- 火打など集落があればどこでもやったはずで、なぜそれが地名になるのかが説明されない。 — zenibako_trek zenibako_trek…
kisa は辞書にある他動詞で要素はいずれも実在の語であり、最古の表記「チキシヤフ」「チキシヤブ」とも合う。-p が kisa の目的語になり得ないという文法上の批判に、提唱側からの答えはない。
chi-kisa-p
チキサㇷ゚ ‘我ら擦るモノ、すなわちハルニレの木’ 提案提唱者: 山田秀三 (Yamada Hidezō)
山田秀三『北海道の地名』:「また語尾のプ(-p)を処と読んで来たのであるが、チ・キサ・ㇷ゚(我ら・こする・もの)、つまり「赤だもの木」の意だったのかもしれない(ニの代わりにプが入った形)。それだったら月寒は「赤だも(の生えている処)」の意であったろうか。」榊原正文も、後志管内黒松内町に同じ地名の記録があり現在もハルニレの密度の高い雑木林が存在することから、「流域にハルニレが群生する川」と解する。黒松内の地名は正確には「チキシャニタイ」chi-kisa-ni-tay〈ハルニレの林〉である。
根拠
- 同型地名
黒松内町のチキシャニタイ chi-kisa-ni-tay〈ハルニレの林〉はハルニレの群生地という意味で疑いようがない。日高の浦河町にも「月寒」があり、こちらは未だに「ツキサップ」と読む。
反論
- 江戸期の札幌周辺の植生の記録では月寒は「此辺桜草多し」、望月寒は「此処柏木椛多し」、豊平は「山中柏栗厚朴多し」とあり、千歳山道沿いの植生を熱心に記録した玉虫左太夫もハルニレを特筆していない。現地調査では隣のラウネナイ流域にハルニレが少し見られたが、月寒川沿いでははっきり確認できなかった。「チキシャニ(ハルニレの木)」であれば指すのは1本の木であり、川にもこのあたり一帯にも当てはまりにくい。「チキシャニタイ」からツキサップへの転訛を認めるなら、浦河でも同じ転訛が独立に起きたことになる。 — zenibako_trek zenibako_trek…
- 山田秀三の調査によると月寒川沿いに春楡の木はいくらか生えているようである。「チキシャニタイ」からツキサップになったという説なら一理あるとしつつ、著者は疑問符を拭いきれないとする。 — zenibako_trek zenibako_trek…
chi-kisa-ni は辞書にある語で切り分けも文法に適い、チキサ系の読みの中では最も無理がない。必要になるのは月寒におけるハルニレの群生であり、江戸期の植生記録はその地点に別の木を挙げている。
tu-kes-sap
トゥケㇱサㇷ゚ ‘丘の外れの下り坂’ 提案提唱者: 『北海道駅名の起源』(昭和29年度版)
山田秀三は「月寒に一番近い音と、地形とを照合した驚嘆すべき工夫である」と評し、「多分知里さんが考えられたのだろう」と推測する。同時に「アイヌの間に伝承されていたチキサの音は捨てがたい」とも述べる。
根拠
- 地形
月寒台は端で落ち込んでおり、国道36号線が望月寒川を越える月寒橋のところは急な坂道である。
反論
- 山田秀三『札幌のアイヌ語地名をたずねて』:「但し、古い記録を調べると、チキシャフである。古くからツキサㇷ゚ ならば tu の転訛だと考えてよいが、昔がチキシャフであるので、特別の傍証でも無い限り、チだったと考えるほうが自然なのではなかろうか。」 — 山田秀三 zenibako_trek…
- アイヌ語地名の聞き取りではウ音とオ音、イ音とウ音の取り違いは頻繁に起きるが、語頭のイ音とウ音はめったにブレない。江戸時代にトゥの音で記録されたものが一つもなく、この読みの余地は薄い。主要な辞書では sap 自体に「下り坂」の意味はなく〈浜に向かって出てくる〉であり、しかも複数形動詞なので「たくさんの山峰の端が突き出ている」ほどの意になる。tu は〈峰/岬〉と訳されることもあるが、峰といえば situ を使うことが多く tu 単体の例はそれほど多くない。 — zenibako_trek zenibako_trek…
- 『札幌地名考』さっぽろ文庫:元来は月寒川に名付けられたもので、いずれもうなづきがたい。 — 『札幌地名考』さっぽろ文庫 zenibako_trek…
- 更科源蔵『アイヌ語地名解』:チ・ケシ・サッで丘のはずれの下り坂がなまったのではないかともいわれているが、もともと川に名付けられた名であるので疑問。 — 更科源蔵 zenibako_trek…
kes と sap は辞書にある語で、現行の「ツキサップ」の音と地形にはよく合うが、第一要素には文献表記に一度も現れず単体の用例も乏しい tu〈峰〉を立てる必要がある。
tuk-e-sap
トゥケサㇷ゚ ‘突き出て下る所’ 提案提唱者: ジョン・バチェラー (John Batchelor)
バチェラーの地名一覧はこの名を突き出た斜面と読んでおり、『北海道駅名の起源』の読みより半世紀早い。同辞典本文の Chikisap〈斜面、小山ノ坂ノ面〉とは別の扱いになっている。
tuk・e-・sap はいずれも形態素バンクにあり、段丘の端という地形とも合うが、江戸期の表記の語頭「チ」を tuk と見る必要があり、そう書いた記録はない。
chi-ke-sap
チケサㇷ゚ ‘崖が下る/自ら削る坂’ 提案提唱者: zenibako_trek(小樽銭函地名歴史研究会) (zenibako_trek (Otaru Zenibako Place-Name and History Society))
著者は『地名アイヌ語小辞典』の chikep〈切り立った崖〉、chi-ke-p〈自分を・削った・処〉を土台とする。室蘭の地球岬は原名 poro-chikep〈大きな崖〉で、その読みチキウは cikep → cikew → cikewe の転訛を経たものとされ、著者はこれを語中の p が失われる並行例として挙げる。チキサㇷ゚ は同じ chikep の末尾 p の代わりに sap〈坂〉がついた形になる。望月寒川流域には多くの崖が今も残り、月寒公園の干城台に連なる断崖が著者の考える崖である。
異形
- chikisap ‘断崖の坂’ — 著者が地名そのものと見る合成語の形。
根拠
- 同型地名
室蘭の地球岬は旧記類にチケウエの形で見える。知里真志保と山田秀三はその原名を poro-cikewe とし、語源 poro-cikep〈親である・断崖〉、ci-ke-p〈自分を・削った・者〉から、「チケㇷ゚」の形が忘れられた結果 cikew、さらに cikewe になったとする。小樽市手宮の suma-san〈岩が突き出ている〉は chike-sap と同じく地形名詞に移動動詞を続けた形である。
- 文献
松浦の野帳は「ホロチキンシャフ」と書き、キとシャの間に撥音が入る。語源が kisa〈もみぎる〉であれば、そこに撥音が挟まれることはないはずである。
- 文献
バチェラー辞典は Chikisap を独立の項目として〈斜面、小山ノ坂ノ面〉とする。2版では San が名詞〈下り、坂〉として立てられ、その複数形に Sap が挙げられているが、4版では sap は動詞 san の複数形として修正されている。
- 地形
玉虫左太夫の「イナヲ阪」は島松から三里余りの位置にあり、ちょうど月寒のあたりにあたる。「屈曲且険馬行叶はざる程なり」という。アイヌは交通上の危険箇所にイナウを捧げて安全を祈っており、イナウを捧げるほどの坂は地名として残るだけの理由がある。
文法に適い、最古の表記の語頭「チ」を保ち、バチェラーの独立した語釈〈斜面、小山ノ坂ノ面〉とも合う。弱点は chikep の語中の p で、その支えは地球岬の並行例と撥音を書いた野帳の一例にとどまる。著者自身も自説として提示している。
chi-kep-sam
チケㇷ゚サㇺ ‘崖の傍’ 提案- chikep ‘切り立った崖’
- sam ‘のそば’
提唱者: zenibako_trek(小樽銭函地名歴史研究会) (zenibako_trek (Otaru Zenibako Place-Name and History Society))
著者のもう一つの自説候補。sam は位置名詞で名詞のすぐ後に後置するため文法のかたちが整う。語尾を複数形自動詞 sap と見た場合になぜ複数形なのかという疑問が残っていた。この読みでは現代の「ツキサム」がむしろ昔の音を復元したことになる。
根拠
反論
- 現地に伝わる音としては「ツキサップ」が強く残っており、旧記類でも「チキサプ」の形を取っているので、あくまでも可能性の域は出ていない。 — zenibako_trek zenibako_trek…
sam は辞書にある位置名詞で、sam が sap と聞き取られた並行例も実在の地名だが、この名の記録された表記はすべて唇音の閉鎖音で終わっている。
用例
- チキシヤフ 文献 1858 戊午新道日誌
チキシヤフ 名義 昔し婆が火打を忘れしが故に号るとや
松浦武四郎による名義。昔お婆さんが火打を忘れたゆえに名付けたという。
zenibako_trek… - チキシヤブ 文献 Edo period 西蝦夷日誌
チキシヤブ(小川)昔し神が火打を忘れし古跡なりと。チキシヤブは火打の事なり。依て奏皮アカダモをチキシヤニといへるなり。
お婆さんが「神」に変わっており、アカダモをチキシヤニと呼ぶことに触れる。
zenibako_trek… - ホロチキンシャフ 文献 Edo period 手控 午第十番手記
サッホロ/チキシャフ 小川/ホロチキンシャフ 小川/ラウネナイ 小川
現地で聞いた音をそのまま残す傾向のある野帳。キとシャの間の撥音は、そこに子音があった可能性を示す。この一覧では豊平川寄りの現・望月寒川が「チキシャフ」で、月寒川の方に「ホロ」がついている。
zenibako_trek… - ツキシャーブ/モツキシャーブ 文献 1857 入北記
イナヲ坂 ツキシャーブと云ふ渓河あり。此辺桜草多し。/モツキシャーブ 此辺柏木椛多し
玉虫左太夫はツキシャーブをモツキシャーブより豊平寄りに置いており、現在とは逆である。同じ地点に「イナヲ坂」を挙げる。植生として桜草・柏・椛を記録している。
zenibako_trek… - Chikisap 辞典 1905
Chikisap, チキサプ, 斜面, 小山ノ坂ノ面. n. A slope. A hill-side. Syn: Huru-kotoro.
すぐ上にある Chikisap〈火打で火を打つ〉、および Chikisa-ni〈アカダモ〉とは別立ての項目。
Batchelor1905 s.v. Chikisap (second entry) - Chikisap 辞典 1905
Chikisap, チキサプ, [...] v4, To strike fire with a flint and steel.
Batchelor1905 s.v. Chikisap (first entry)
関連地名
- 望月寒川 もつきさむがわ — 「モツキサム」の mo は〈小さい〉で、大きい方の「シイツキサム」の si〈本流の〉と対をなす。著者が地名の崖と見る断崖はこの川沿いにあり、名はそこから始まって傍らの短い川に移り、長い方が月寒川になったと推測する。国道36号線では月寒川に望月橋が、望月寒川に月寒橋がかかっている。 zenibako_trek…
- 月寒(浦河町) つきさっぷ — 日高の浦河町にある同名の地名。未だに「ツキサップ」と読む。 zenibako_trek…
- チキシャニタイ(黒松内町) ちきしゃにたい — chi-kisa-ni-tay〈ハルニレの林〉。後志管内のハルニレ群生地の地名で、月寒をハルニレの地名と読む説の根拠に挙げられる。 zenibako_trek…
- 地球岬(室蘭市) ちきゅうみさき — 原名 poro-cikewe、語源 poro-cikep〈親である・断崖〉。知里真志保・山田秀三は現在のチキウを cikep から cikew、cikewe を経た転訛とする。 zenibako_trek…